園長NOTE

2016

他人の所作の収めかた
 ~アタシの物差し・ゴムのものさし~
 マンウォッチングが得意だ。
電車に乗っていても、街を歩いていても、「ひと」が気になる。
当然、園内においても気になる。見ている。観察している。商売柄、表現力の小さい利用者の物言わぬアピールを受け止めたいと思っている。

ボタンが互い違いですよ。背中が出ていますよ。走ったら危ないですよ。そうか、今はそこが気になるんだね。なるほど、不機嫌の理由はそこにあるのか、気づくのが遅れたね。
さっきのあの言葉は、このことだったんだね。そんなに大きな声を出さなくても・・・。
いわゆる「ノンバーバルコミュニケーション」的なやり取りが続く。

 かたや、歯を磨きましょう、手を洗いましょう、ご飯を食べましょう、から始まって、作業しましょう、効率よく働きましょう、お金の使いかたは・・・。他者との交流についてまで、アドバイスと言うか、支援というか、口うるさい。見方を替えれば、小姑的なおせっかいと言ってもいい。利用者からみれば、きっとそう映っている。

 あなたの為だから理論で、一挙手一投足をねめられる。そう、他人の所作が気になるのだ。気になるから、見ている。見ているから気になる。気になるから、正したくなる。気になるから、直したくなる。

ある程度の方向性は、マニュアルに載っている。しかし、細かい動作の端々や方法などは、個人個人のやり方に任されている。と言うか、そんな細かいことは決められていない。洗髪の手順、タオルのたたみ方、財布のお金のしまいかた、新品の下ろし方。まだまだあるはず、枚挙にいとまがないほどである。

 支援と言われる利用者とのやり取りの多くは、当事者同士の基準が大きく左右している。いわゆる、個別の物差しで判断されることが多い。
たいていの場合、そんなにそのメモリは違わない。違っても許容できる範囲で、呑み込めたり、見逃したりできる。ところが人によっては、ここだけは譲れないとか、どうしても曲げられないとかいうこだわりが存在する。解る気がする。僕は、顎にマスクが嫌いで、お箸と茶碗を同じ手で持つことを許せない。くちゃくちゃ音を立てて食べる奴にはスペシューム光線を浴びせたい。

ところが、あまり頑丈な物差しを持ち歩き、測っているとわずかな違いや誤差が気なってくる。気になると正したくなる。直したくなる。いますぐ直せ、すぐ直せ。おっと、エスカレートしそうだ。

いっそ、その物差しをゴム製にしませんか。
自由にメモリを動かせるゴム製の物差しは、ずいぶん使い勝手が良さそうですよ。