園長NOTE

2016

バケツの中、比べたがる♪
 見学者をご案内するとほとんどの方が「うわぁー、日当たりがいいお部屋ですね。わたしも住んでみたい!」とか、「自分も入所させてくれないかなぁ」などとおっしゃる。本気ですか?冗談だったら、現に入所している利用者はどう思うだろ?と、内心楽しくはない気分で聞いている。

 給食の試食の後も「うらやましいですね。こんな手の込んだお料理が食べられて。毎食これだったら幸せだ。」とおっしゃるご仁。
帰りにレストランに寄ったり、居酒屋に行ったり、あるいはご家族の手料理で、もっとおいしいものを自分で選んで食べているんでしょ!?
基本お代わりはないし、メニューも選べない。利用者が「今日の料理は苦手なメニューだから、キャンセルしてね。近所で外食してくるから…。」とは絶対言えない。悪気はないが、発言の方はどこかでご自分と比べているような気がする。比べていてご自分にアドバンテージがあるからこそ、心にもないことをいうのかもしれない。

 口が過ぎた。

 人は本質的に社会的存在であり、その社会的な環境においてうまく生きていくために、自分の能力、才能、実力、容姿、社会的ステイタス、経済状況などを、正確に評価しようとする傾向にあります。人は自分と何かしら共通点のある他者と自分を比べて自分を評価します。

自分よりも劣ると思われるものと自分を比べることを、下方社会的比較(Downward social comparison)といい、自分よりも優れていると思われるものと比べることを、上方社会的比較(Upward social comparison)といいます。
上方社会的比較は、スポーツや勉強の競争心が思い当りますが、もっといい暮らしがしたいとか、憧れからのがんばりなどもこれにあたるかもしれません。逆に、下方社会的比較は、セルエスティームが低く、投げやり、あきらめなどとイメージが重なります。そして、それに比べれば自分はまだいい方だとか、もっと下がいると思ったりします。

 利用者のみなさんも、もちろん例外ではありません。
帰宅できる人できない人、外出の回数、グループホームへの移行、個人の持ち物など様々な事柄で比較します。しかし、おしなべて下方社会的比較です。上方社会的比較はなかなか起きず、残念ながらそのことが生きる動機づけにはならないのです。

 もっと良好な暮らしにせねば、うらやましがられる生き方に。
少なくとも「同じなんだね」にしなければ、どこかの放送局で垂れ流されているような「気の毒な障害者」「障害者はかわいそう」感は、なくならない。