園長NOTE

2014

いま、あらためて『かわいそうな人』について抗弁する
大会史上初の、開会式の2日間延期を乗り越えて、第96回全国高校野球選手権大会は始まりました。数々のドラマの先の頂点に立ったのは、大阪桐蔭高等学校でした。その主将である中村選手の中学校時代の作文が話題になっています。
「友から学んだこと」と題した作文は、内閣府の「心の輪を広げる体験作文」で最優秀賞の内閣総理大臣賞を受賞しました。この作文がFacebookで広まりました。
野球のライバルが突然の病に倒れ、歩行困難、嚥下障害、コミュニケーションの障害も併せ持った重度の障害者になってしまったのです。はじめはかわいそうだと思っていた彼は、生きていくための条件が少し違うだけだと気づき、その違いを認め合うことこそ、差別のない社会の実現に繋がると訴えました。
障害者福祉の仕事をしています、というと「大変なお仕事ね。」と言われます。(何と比べて、何が大変なんだろう?)
利用者と一緒にいると「頑張ってね。」と声をかけられます。(?どっちが?結構がんばっているのにな…。)
「指を差さないの!」「じろじろ見ちゃダメ。」と小声で子供に注意する声が、聞こえていますよ、お母さん。
障害は忌避すべきもの、できれば関わりたくないもの、自分とは関係ないという思いは、たぶんフツーです。
ところがここに、何かと比べて、低い、足りない、劣っているという比較係数がかかると、途端に上下に差が付き始めます。低いほうでなくてよかった。それに比べてアタシはシアワセ。あーあ、かわいそーに、となるのです。
ビンボーだからかわいそう、悲惨な境遇だからかわいそう、とは違って、障害がかわいそうなのは、低い、足りない、劣っているという、間違った係数で見るからなんですよ。
実は、できないように見えて、できるんです。やり方が違っても、いいんです。結構いろいろ足りてるし、意外に高いんですよ、いろいろ。
中村主将も言ってるじゃないですか、違いを認め合おうって。
『違い』を認め、『同じ』を評価する、そんなことがフツーになるといいと思います。
だから、そんなに「かわいそうな人」ではないと思うのですよ。