園長NOTE

2015

アタリマエのアタリマエ
社会人になった娘と「フクシ」について、あるいは世の中の仕組みについて話すことがある。娘は編集者である。
幼いころからショウガイフクシに近いところに育った彼女は、私の理解者の一人でもある。パラリンピックのボランティアもする。
幼いころ、自宅のそばの障害者施設が、廃品回収に我が家を訪問した時のこと。娘の母親が「いつもご苦労様。頑張ってね。」と利用者と思しき初老の男性に声をかけた。娘は母親に向かって「どうして大人の人なのに、お友達のような話し方をするの?」と言った。衝撃を受けた。おっしゃる通り、ごもっともである。
終電を乗り間違えて、アッシー君代わりに娘を迎えに行った車中、娘はこう言った。「パパはいつも何を考えて仕事をしているの?」「さやま園にいる利用者が本当に幸せか?ってことかな」「幸せじゃないの?」「ベストではないかもしれない」と、いろいろな方の入所に至る経緯を話した。すると「じゃあぁさ、なんでさやま園があるの?」・・?
「・・・ん?」素人の単純な疑問に対して、すらすらと答えられない情けなさ。確かに、おっしゃる通り、ごもっともである。
パラリンピックで全盲ランナーの方のボランティアをした経験を話して、「私がいなくても、全然大丈夫。ふりー。かえって、私の方が色々と案内されちゃった。ホント自立してんだから!」「パパのところのみなさんの自立ってどういうこと?」「自己決定っていうことかな?」「なにそれ?」「自分のことは自分で決めるっていうこと」「そんなの当たり前じゃん!!!!」
エンパワーメント、意思決定支援、利用者本位、権利擁護、などなど、いろいろとかっこいい言葉を使って、とりあえず一生懸命利用者支援をしているつもりだが、素人の言う当たり前にもまだ届かない。おっしゃる通り、ごもっともである。